米津(よねきづ)常春
※ 名前をクリックすると↑wikiの人物解説が出ます。

徳川16将に名を連ねている割には正体不明の人。

生まれたのは1524年(家康より18歳年上)。松平の栄光と転落の歴史を戦い抜いた三河武士の一人です。
数々の戦功を立てたらしいですが、最後の戦は1564年。
三河赤坂の戦いであの渡邉守綱と一緒に戦った時の事。


守綱は米津とともに塚の陰で敵を待っていましたが
「あんたはジジイだけど俺は若い。こんなところで一緒に敵を待つなんて馬鹿馬鹿しい。」
と言って飛び出して行き、見事敵の首を挙げてしまったそうです。

守綱(当時23歳)に「ジジイ(原文:老兵)」呼ばわりされた米津は当時41歳(!現代の感覚では全然若いですが)。

米津はこの記述を最後に史実から姿を消します。
戦で負傷して戦えなくなったのかもしれませんし、若き天才守綱の言葉に「武人としての衰えと限界」を感じたのかもしれません。

…が。何と彼は実はその後も生き続け、1612年89歳でお亡くなりになったそうです。
その間何をして生きていたかという記録は一切不明です。
あの激動の時代を武人としていったいどう見つめていたのでしょうか。

ちなみに1612年といえば守綱71歳。
もしばったり出会ったとしたら相変わらず「ジジイめ」「青二才め」と言い争いそうです(*´∀`)。

米津(よねづ・愛知県西尾市の地名)といえば羊羹と花火大会が有名ですが、米津出身のこんな武将もなにとぞよろしく!



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