酒井忠次

家康がまだ武田勝頼と交戦中だった頃、正月に武田方から年賀の使者がやってきました。

そのとき使者が持ってきた句を見て、三河侍たちは首をひねってしまいました。

松枯れて 竹たぐひなき あしたかな

実は松は松平、竹は武田をひっかけてこちらを揶揄した句だった。

あまり教養のない三河侍たちは気づかなかったのですが、早い話、三河武士はななななめられたのであった。
そんなとき、すかさず徳川「第一のおとな」、家老の酒井忠次がこう返事をしたためて送り返した。

松枯れで 武田首なき あしたかな

「うまいことを言うなあ」と拍手喝さいの徳川方。
返り討ちにあい「いやな気分だなあ」と思った武田方。
そしてやっぱり良くわかっていない三河侍(´・ω・`)。

この忠次の句が徳川の運を開くきっかけになったというので、 以来徳川家では正月の松飾の竹の先を切る習慣となり、 それが門松のもととなった。

ちなみに四人で「四天王」という呼び方は江戸時代になって からのものらしい(井伊家がいるのに、もう一つの大老酒井家を入れないわけにはいかないので)。
当時は本多、榊原、井伊で「三傑」「三人衆」と呼ばれていた。

「徳川四天王展」で見たこの人の甲冑は
すごく小さかった。あんな小さい身体で
外交内政をこなし、戦場では大声張り上げて
つわものを指揮したのかと思うとそれなりに
すごさが伝わってきます。

もうひとつ、この人の遺品はおしゃれなものが多い。
采配も磁石やカレンダーがついていたり、
ビロードを使った椅子などもあります。
右の鎧は「徳川四天王展」に出品されたもの
でも、もう一つ、いかにも古風な感じの鎧
がある。それを見て人は「他の三人にはない
古武士のこだわりを感じる」と言います。
しかし、実はその鎧、皮製でとても軽く
できていて、当時のハイテク製品だった
そうです。

一応威厳あるふうに描いてはみたけれど、
きっと本物の忠次は好奇心旺盛で
いつもちょこちょこくるくる動きまわる
アクティブなじいさんだったんだろう
と勝手に思っています。

「酒井忠次紀行」
「酒井忠次トリビア」
◆「酒井忠次アネックス」◆
「みかぶし4コマ」
※↑のイラストは岡崎市「三河武士のやかた家康館」の公式グッズ「徳川四天王一筆箋」のデザインとして採用されたものです。


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