おぐりん
小栗忠政(又一)
※ 名前をクリックすると↑wikiの人物解説が出ます。

槍働きで名高い徳川軍の猛将。血気盛んで向う見ず。

通称は「又市(またいち)」だが、姉川の合戦以降、たびたび一番槍の功名を立てたので、家康公から

またお前が一番槍か( °凵)」

と言われた。そこで通称の「又市」にひっかけて「又一」という名前を賜ったという。
(あいかわらず不思議な家康公のネーミングセンスである。)

「小栗党」と呼ばれる郎党を率い、、白地に黒の五輪塔の旗指し物が血に染まって赤くなるほどの奮戦で戦功を挙げた。

しかし、猪突猛進のあまり軍令違反をしてしまうことも。

ある城攻めで、又一は夜中に抜け駆けをしようとするが、敵兵に気付かれ大騒ぎに。何とか切り抜けたが軍律違反をした又一に 家康公は激怒。しばらく大須賀康高の元に身を寄せていた。

また城の警護を時間を間違えて早く退出してしまい、家康に怒られたことも。

関ヶ原では使者として各大名を回り、特に福島正則からは歴戦の勇者として手厚くもてなされた。

大阪冬の陣では敵の目の前に出て一人で物見を行ったが、敵側は忠政を恐れて誰一人発砲する事が出来なかった。
しかし、それで油断したのか、夏の陣では味方の陣営を見回っている途中、城から発砲され左股を負傷。その傷がもとで死んだ。


幕末に有名な子孫、小栗忠順がいる。

なお、又一は「またいち」と読む。決して「ヌー」ではない。


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