成瀬正成

幼いころから家康の小姓として浜松に出仕。
ちなみに井伊直政とは数年間一緒に小姓を務めています。
直政の方が6歳年上ですが、小姓としては正成の後輩になります。

正成の人柄は誠実で真面目で一本気。

有能な行政官として家康を陰で支えるとともに、必要とあらば家康の勘に触ることもあえて申し述べる男気のある人物でもありました。

死ぬ間際の一月、正成は家康の眠る日光にどうしても行きたいと言って聞かず、やむなく家臣は正成を戸板にのせて部屋の中を回り、日光に行くふりをしたそうです。

その横でお付きの者が宿場の名前を読み上げ、やがて日光の名を告げると正成はそこで拝礼し、意識を失ったといいます。

これを「成瀬家安泰を願う、幕府に対するご機嫌取り」と言うのは簡単ですが、彼の人柄や人生を見る限りそうではないでしょう。
家康のそばにあってその苦悩の人生をずっと見てきた彼は心底家康の思想に共感し、その人柄にほれ込んでいたのでしょう。
月見草のように静かに、家康とその息子に仕えた正成の、家康への尊敬の念が人生の最後に燃え上がり、彼を突き動かしたのだと私は思います。



成瀬正成については以下のページもどうぞ。
「成瀬正成紀行」
「マンガで読む三河武士列伝2(成瀬正成伝)」


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