ないとう

内藤家長内藤信成

譜代家臣内藤清長の妹に、主君松平広忠(家康の父)のお手が付いてしまった。

そのまま妹は他家へ嫁ぎ、そこで広忠の子どもを産む。
しかしそこで養育を拒否されたのか、生まれたばかりの子どもは
伯父である内藤清長に養子として引き取られた。
しかし…
間の悪いことに、その翌年清長に待望の長子(家長)誕生。

‥どこにいても微妙にお荷物、厄介者という複雑なシチュエーションで信成は育ってきた。
彼がご落胤‥家康の異母弟だということは公然の秘密であったそうだから、
人々の好奇の視線にもさらされ続けただろう。

ただ、義弟(本当はいとこ)である家長とは仲が良かったらしく、
戦では家長が信成を弓矢で助けたという話も伝わっている。

そんな家長は関ヶ原の直前、伏見城にて戦死、
信成はその後も生き続け、長浜城の城主として生涯を終える。

‥信成ゆかりの地にある長浜の大通寺には、子孫により家長の死んだ伏見城の一部が移築されている。


「内藤一族紀行」


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