やすただ

松平康忠

徳川十六将の中で一番サラブレッドな人。

長沢松平家出身。母は家康の祖父清康の娘碓井姫、妻は家康の妹の矢田姫で家康とは従兄弟であり義兄弟の間柄である。

14歳で父を桶狭間の戦いで失う。祖父の後見のもと長沢松平を継ぐが、母は家康の重臣酒井忠次と再婚、家を出た。息子の将来のためだったかもしれない。

母の再婚相手の酒井とともに姉川・長篠で戦功をあげる。家康の息子信康の守役の一人にまでなったが、信康の切腹により蟄居。のち赦されて出仕する。

44歳で嫡子の康直へ家督を譲り京都へ隠棲するが、その康直は24歳で病没。
やむなく家康の七男・松千代を養子に迎えるが、松千代もわずか6歳で病没。
結局その兄の辰千代、のちの松平忠輝を迎えて名跡を継がせた。しかし忠輝の改易によって長沢松平家の嫡流は途絶えてしまう。

その二年後に康忠も死去。享年73。

人の幸不幸は身分や生まれとは関係ない、ということの典型的な人。



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