いえただ

松平家忠

家康のもとで働いた深溝(ふこうず)松平家第4代にして戦国時代を知るための第一級資料「家忠日記」の著者。
20歳の初陣(長篠の合戦)で父を失い、当主となり、家康とともに数々の戦に参加、城の普請などを多く行う。
1600年鳥居元忠・内藤家長とともに伏見城にて討ち死に。

この人の日記は一言で言って明朗簡潔、一見味もそっけもないが、その中で本能寺の変、数正出奔、大政所訪岡、など戦国の大事件に出くわし、英雄ではない一武将がそれをどうとらえ、どう生きたか
が描かれている(本当にさりげなく、だが…)。

別名「ツイッター武将」(命名・アートマンジャパン都築さん)。

なお、城の普請を多く行っていることが日記にあるので「城造りの名人」などとも言われるが、他の武将がどのくらい城普請をしていたかがよくわからないので本当は何とも言えない。

日記から読み取れるのはとにかく武将はお金がいる仕事だということ。
合戦があるのは一時期で、そのほかは延々普請(全部費用は自分持ちである)、接待、贈り物のやりとり、借金の返済…。
戦で領地でも増えなければやっていけない、それが戦国武将…ということを彼は教えてくれる。

なんだかこの人の伝記を読んでると気の毒な気がしてしょうがないので、こんな気のいいおっさん顔になってしまった。
…たぶんいないと思うがファンの人いたらごめん。


「深溝松平家忠紀行」





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