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伊奈忠次

この人がいなければ江戸はなかったかもしれない。
最初は不遇で、父とともに三河を追われ堺に出奔。
家康の伊賀越えの際三河に戻り、農政行政面で才能を発揮する。

小田原陥落後、伊奈は城内の兵糧の整理を任されるが、そこ で迅速な事務処理能力を発揮、たちまち仕事を片付け奥羽に 向かう秀吉家康に追いついた。
秀吉は驚き「自分の家臣にこれほどのものはいない、家臣で あれば一万石与える。」と激賞した。

家康の関東入封が決まった時、他の家臣が反対する中伊奈だ けが賛成した。江戸が今後大いなる発展の可能性を秘めた土 地であると予見していたのである。

入封後は江戸をめぐる河川工事の計画と実現に手腕を見せ 検地、新田開発、河川改修を行い幕府の財政基盤確立に寄与。

また関東郡代として民政に努め、農民に炭焼き、養蚕、製塩な どをすすめ、桑、麻、楮などの栽培方法を広めたため 彼らから神仏のように敬われていたという。

なお岡崎の和菓子屋「備前屋」の名前はこの人伊奈備前守忠次 から取られている。



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