服部(半蔵)正成
※ 名前をクリックすると↑wikiの人物解説が出ます。

家が絶えてしまったので詳しいことは残っていない。
家伝のようなものに半分伝説化された逸話が残っているが、 それによると、彼は一般的な忍者のイメージとは異なり、戦場で一番乗りの功名も多く、腕っぷしの強い豪傑肌の 人物だったようである。

また「改正後三河風土記」に、武将服部正成のこんな籠城戦の様子が載っている。

「…徳川家の加勢服部半蔵は伊賀・甲賀の者ども100人に下知し、100人を5段に構え、筒先を揃え、 玉継ぎ早く打つ鉄砲で、蟻のごとく寄せ付いている兵たちを見ているうちに3〜40人撃ち殺した。

(中略)18日には服部半蔵と伊賀の士卒100人、敵を大勢打ち取って功名を挙げた

その後も40日ほど籠城を続ける服部たち。

敵軍は城を明け渡すことを条件に城から出るための舟を差し出したが、服部らはその舟に弓や鉄砲を飾り、城中の男女ことごとくを載せて、 数万の敵とにらみ合って尾張に引き取って行ったという。
(この脱出の仕方があまりに豪胆だったので「珍しいい開城のありさまである」 と史料に書かれるほどである)


…長篠の戦いのようなつるべ打ち戦法、長い籠城にも負けない粘り強さ、退却する時も堂々と退く豪胆さなど、武将服部正成の片鱗をうかがわせ るエピソードではないだろうか(一緒に籠城していた武将の功績でもあるだろうが)。

とにかく父の代には忍びだった服部家が8000石の旗本になったのは、ひとえに服部正成という、ずば抜けた能力の持ち主がいたからだと言われる。


なお、上のイラストはポッ○ン風な葵武将隊服部殿。
現在岡崎城入口にてこのイラストを使った 「葵武将隊ストラップ」が売られています(ガチャポンで販売)ので、岡崎城に行かれる方はぜひゲットしてみてください。


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